煎茶道の意義


 日本人とお茶、朝、昼、晩、と片時も茶をはなせない私達の生活なのに、茶の由来も、歴史も、そして美味しく飲む方法さえも知らない人たちが、意外に多いのに驚かされます。
 そればかりか、古来、茶は薬として尊重され、栄養価も大変高いものですが、そういう薬としての価値や栄養価をかえってなくしたりするというような飲み方さえ多く見られるのは、大変残念といわなければなりません。
 お茶には抹茶と煎茶があり、茶葉には玉露、煎茶、香煎茶に大別され、木の育て方、茶の製法等、それぞれ異なります。
 しかし茶といえば抹茶法の印象が非常に強いようです。これは抹茶道が千利休以来、武家階級に根強く浸透して、所作作法ともに精神面が一般に徹底したためで、私達煎茶道に専念するものとしては、なお一層、煎茶道の普及に努力する必要があることを痛感しております。
 煎茶道は江戸時代末から明治初めにかけて大流行を経て現在にいたったのですが、如何においしいお茶を味わうか、という、ごく自然な願いをだれにでも容易に、かつ自由に、楽しんでいただくのが煎茶道だ、ということが出来ると思います。
 しかしながら誰にも親しまれるものとの思想がややもすると曲解されて、自由奔放が良しとされ、調和の美も、調型の美も、そして律動の美しささえもなくしてしまったものがあります。
 古来から「茶道と能率」とか「簡素化された美しさ」とかいう表現でよく語られているのもうなづけます。
 喫茶は日常の生活に欠くことの出来ないものであり、絶対のものでありますから、形式にこだわることはありませんが心のない茶であってはなりません。茗主が客を招くという形からすれば、おのずから一つの型、作法は必要となります。
 茶を点てる人の所作と、周りの静的な環境、そして茶室の構成や使用する茶具の形状、色彩等の調和があるとき、客は真の楽しさ、美しさを知り、おいしい茶を喫することが出来ます。こうした調和の雰囲気が、茶の奥儀ともいえるのです。
 形式化を目的に、形式だけを作るのではなく、茶を楽しくいただくための形式であることを忘れてはなりません。
 世はハイテク時代と呼ばれていますが、どんなに科学が進んでも、人間のあり方こそがますます重要になり人間の合理性、人格の高潔さなどが、社会の重要な課題になってくると思われます。
 煎茶道に「和敬清閑」という言葉があります。これは煎茶道の根本理念として説かれるもので、和を悟り、尊敬と信頼を深め、常に公平で、誠意に満ちた清い心と、肉体的にも精神的にもゆとりをもつということです。
 一朝一夕に得られる心境ではありませんが、煎茶道を通じて、このような合理的精神を体得することにより、社会の向上発展のために、いささかなりとも寄与することが出来ればと念ずるものであります。


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