無我の境地
我を無くすというのは、長年培ってきた自身の知識や才能をすべて放り出すということではありません。
何も考えず、脳内を真っ白にするイメージがあるかもしれませんが、人間は常に脳が活動し、あれこれ何かを考えています。
では無我とはどういう状態なのでしょうか?
それは今この瞬間の雑念・煩悩などの俗なる気持ちを無くすということです。
情報過多の日常生活において、メディアやSNSなど常に最新の情報を気にしたり、仕事・子育て・食事のことを計画立てたり…と、常に頭の中では目まぐるしく考え事をしています。
口癖のように「忙しい」「時間がない」と、ついつい口にしてしまいますよね。
そういったことすべてを一瞬忘れてみましょう。
そして今感じることだけを考えてみる。
ときには、小鳥のさえずりに耳を傾けてみたり、目の前のコトに集中してみる。
また、今の幸せを感じてみたり…と、気持ちを整え心で感じてみる。
その一瞬が出来れば、もう少し続けてみる。そう、余計な雑念は感じていない状態です。
すると人間本来の清らかな心・清々しい気持ちが取り戻せます。
神社へお詣りに行くと、祈願をする際に神前で鈴を鳴らします。
神様をお呼びするためともいわれますが、本来はあの澄んだ鈴の音で気持ちを整え、邪なるものを祓うとされています。
いわば雑念を捨て(無我の境地)、誠をもってお願いしなさいよと言われているようにも思います。
ですから、「お金持ちになりますように」「合格しますように」「いいご縁がありますように」との願い事だけだと、単に都合良く自分の欲を叶えて下さい。と神様に対して不躾な依頼事項となってしまいます。
祈願で大切なことは、「…そのために○○を頑張ります」という決意表明なのです。
神仏の前では、感謝と祈願と決意表明は忘れないでくださいね。
話を戻しますが、このように無我の境地は雑念を捨て、本来の清らかな心・清々しい気持ちでいる状態のことをいいます。
寺の座禅やお茶の点前など、誠をもって集中することで、その間私欲を無くすことができます。
新型コロナの影響が長引き、世界中の人の生活が大きく揺らいでいますが、自分を取り巻く環境が不安定な時、防衛本能とストレスにより人は攻撃的な態度に出やすくなります。
残念ながらマスク警察や感染者バッシング、メディアから聞こえるあらゆる批判的なコメントの多さもその一例です。
コロナ禍の大変な時だからこそ、時には無我の境地に至り、気持ちを整えることで、日ごろ忘れていた大切なものが見えたり、他人にも穏やかに接することが出来るのではないでしょうか?
みなさん、今しばらく頑張りましょう!