花見はなぜ桜の下で食べる行事になったのか

もうすぐお花見の季節。
桜の下でお弁当を広げる風景は、実は最初からそうだったわけではありません。
梅から桜へ、歌会から宴会へ。
1300年の花見の変遷をたどります。
花見はなぜ「桜の下で食べる」行事になったのか
1300年の花見史をたどる
東京の桜の開花予想は3月21日頃。
あと数日で、街が淡いピンク色に染まる季節がやってきます。
花見といえば、桜の下にシートを敷いて、お弁当やお酒を楽しむ光景を思い浮かべる方が多いでしょう。

でも、ふと考えてみると不思議です。
なぜ私たちは、木の下で「食べる」のでしょうか。
花を愛でるだけなら、散歩しながら眺めれば十分なはず。
世界を見渡しても、花の下で大勢が集まって飲食する文化はかなり珍しいものです。
この「桜の下で飲食する」という独特の習慣は、いつ、どのようにして生まれたのでしょうか。
今回は、約1300年にわたる花見の歴史をたどりながら、その答えを探ってみたいと思います。
はじまりは桜ではなく「梅」だった

(白梅・紅梅)
日本人が花を愛でる文化の原点をたどると、奈良時代にさかのぼります。
意外に思われるかもしれませんが、当時「花」といえば桜ではなく梅を指しました。
中国との交流が盛んだった時代、大陸から伝わった梅はその気品ある香りとともに珍重され、貴族たちの庭には欠かせない存在だったのです。
『万葉集』を開いてみると、そのことがよくわかります。
梅を詠んだ歌は約110首、桜を詠んだ歌は約43首。
圧倒的に梅が人気だったことが数字にはっきり表れています。
当時の「花見」は、邸宅の庭に植えられた梅を眺めながら歌を詠み合う、貴族の風雅な遊びでした。
現代のようにどこかへ出かけていくものではなく、自分の庭で楽しむものだったのです。
この状況が大きく変わるのは平安時代に入ってからです。
894年に遣唐使が廃止されると、それまで中国の文化を手本としていた日本は、独自の美意識を育てていくようになります。
いわゆる「国風文化」の時代です。
この流れの中で、人々の心は異国の香りを持つ梅から、日本の山野に自生する桜へと移っていきました。
『古今和歌集』では桜の歌が約70首、梅の歌が約18首と、数が完全に逆転しています。
ちなみに、「花見」という言葉が桜を指すようになったのもこの頃からです。
それ以降、日本語で「花」といえば暗黙のうちに桜を意味するようになりました。
言葉ひとつにも、文化の変遷が刻まれているのですね。
宴会型の花見は秀吉から始まった

(醍醐寺)
では、花見が「桜の下でご飯を食べる行事」になったのはいつからでしょうか。
記録に残る最古の花見は、812年に嵯峨天皇が京都の神泉苑で催した「花宴の節」とされています。
桜を愛でながら詩を詠み、雅楽を楽しむという風雅な催しでしたが、これはあくまで宮中の特別な行事であり、庶民には縁のない世界でした。
花見の性格を劇的に変えたのは、安土桃山時代の豊臣秀吉です。
1594年の「吉野の花見」では約5000人を動員し、1598年の「醍醐の花見」では約1300人を招いた空前の大宴会を開きました。
醍醐の花見では、700本もの桜をわざわざ移植させ、仮設の茶屋や休憩所を設え、豪華な料理と酒がふるまわれました。

(吉野の桜)
それまでの「花の下で静かに詩を詠む」という花見から、「桜の下で盛大に飲み食いする」という宴会型の花見へ。
この大転換を起こしたのが、農民の出身から天下人にまでのぼりつめた秀吉だったというのは、歴史の面白さかもしれません。
権威を示すためでもあったのでしょうが、「花を見ながら皆で美味しいものを食べよう」という発想は、どこか庶民的な感覚でもあります。
江戸の花見は「テーマパーク」だった

花見が本格的に庶民のものになるのは、江戸時代中期のことです。
享保2年(1717年)、八代将軍・徳川吉宗が隅田川の両岸や飛鳥山、御殿山などに大量の桜を植えさせました。
これは単なる美化事業ではありません。
庶民の行楽を奨励することで、堤防を踏み固めてもらう実利的な目的もあったといわれています。
政策と娯楽が見事に結びついた、吉宗らしい施策です。
興味深いのは、江戸時代の花見が現代の私たちが想像する以上に「エンターテインメント」だったことです。
桜の名所には茶屋が立ち並び、団子や田楽といった花見のご馳走が売られていました。
さらに驚くべきことに、三味線の貸し出しや鬘(かつら)のレンタルまで行われていたそうです。
人々は花見の場で歌い、踊り、即興の芝居を演じて楽しんだのです。
いわば、桜を舞台装置にした巨大な屋外フェスティバル。
現代のテーマパークにも負けない賑わいだったことでしょう。

今年も隅田川沿いでは「墨堤さくらまつり」が3月20日から開催され、向嶋の芸妓茶屋も登場するそうです。
芸妓衆がお茶でもてなすこの風景は、江戸時代の花見文化の名残りです。
300年以上の時を経てなお、桜の下で人々が集い、茶を楽しむ光景が受け継がれていることに、日本文化の底力を感じます。
桜の下に集まりたくなる理由
1300年の花見の歴史を振り返ってみると、その形はずいぶん変わってきました。
梅から桜へ、歌会から宴会へ、貴族の風雅な遊びから庶民の楽しみへ。
けれども、ひとつだけ変わらないことがあります。
それは、花の下に人が「集まる」ということです。
桜の花は満開からわずか一週間ほどで散ってしまいます。
この儚さが、「今、この瞬間を一緒に過ごしたい」という気持ちを強く呼び起こすのかもしれません。
散りゆく花びらの下で食べるおにぎりが、家で食べるそれよりずっと美味しく感じるのは、きっと気のせいではないでしょう。
場の力、季節の力、そして「一緒にいる」ことの力が、何でもない食事を特別なものに変えてくれるのです。
考えてみれば、お茶の世界で大切にされる「一期一会」の精神も、花見の心と根っこでつながっているように思えます。
二度と同じ花は咲かない。
同じメンバーで同じ桜を見ることも、もしかしたらこれが最後かもしれない。
だからこそ、この一瞬を大切に味わう。
散る桜を見て儚さを感じますが、毎春に咲く桜の木よりも実は人間の命の方がもっと儚いということを考えると、この一瞬の幸せにも気づきます。
もうすぐ始まる花見の季節。
今年は少しだけ歴史に思いを馳せながら、桜を見上げてみてはいかがでしょうか。
奈良の貴族も、秀吉も、江戸の町人たちも、同じように春の空を見上げていたのだと思うと、時代を超えた不思議なつながりを感じます。

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